漫才師からバンカラの店長になった経緯②
漫才師からバンカラの店長になった経緯②
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kubricks11221125.hatenablog.com
一人でなんでもやらされたベンチャー。
ベンチャーに入ったものの、その会社は、大阪にまだ事務所もなく、社員も僕一人でした。
今思えばどんな会社やねん。と思うのですが、その頃は何も分かってなかったので
わーい♪ノマドワーカーだー♪
と喜んでいました。
そしてskype で簡単な研修を受けた後、民泊物件の管理をいきなり任されましたw
その時はPC 触ったのも人生で4回目くらいw(skype繋ぐのも発狂しそうになったよ♪)
そしてノマドワーカーいえば、「Mac とスタバだ!」と思った僕は、いきってMacBookAir を購入しました。(なんでも形から入るタイプ。)
民泊物件の管理をしながら、新規物件の採寸や契約、ゲストハウスにする為の簡易宿所の申請もミニホテルの立ち上げも任されるようになって行きました。
なんにも不動産の知識や、ホテル立ち上げのノウハウもないのに、会社から「簡易宿所の申請をしてください!」って言われて市役所行ったり、建築士の人と打ち合わせしたり、警察署に申請しに行ったり、
「ホテル立ち上げて下さい!」って言われて家具買い付けたり、壁紙張り替えたり、近隣住民説明会とかも全部一人でしてたw
だって大阪に社員一人だったからねw
その時の経験は、わけわからなくてしんどかったけど、
人間大抵の事はやったらできるんだな!
と言う強い自信になりました。
何か違和感を感じだした。
知らない事の挑戦の繰り返しは、刺激的で楽しかったけれど、少しずつ違和感を感じ出しました。
精神的な充足がない。。
なぜか満たされない。働きながら違和感の正体を探る日々でした。
ある時気付きます。
精神的な報酬がない。
漫才師として漫才をしていた時は、自分が作ったネタがウケれば「お客さんの笑顔」という精神的な報酬があった。
けれど今の仕事は、ネット上でしか顧客の反応をしれない為、自分がしたサービスに対してのお客さんの反応がわからない。
喜んでるのか、怒ってるのかわからない。
スベってるのかウケてるのかわからない。
ただ言われた事を黙々とこなして、数字で売り上げを確認するのみ。
自分がしたサービスに対しての、改善と修正もできないしやりがいがない。
と強く思い始めました。
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