自分の人生を本気で楽しい人生にしたいという思いがない人が、「不倫」を叩く。
お金2•0をやっと読み終えました。
哲学的に経済を考え、事業を通して仮説と検証を繰り返して生きる佐藤航陽さんの本書を読みながら何度も「この人おもろ。」と口に出していました。
「ギロチン」の考察
最後らへんに「ギロチン」についての考察があり、最近考えてる事とリンクしました。
中世で行われていた「ギロチン」とは、本来悪人を処刑するためのものですが、市民にとっての娯楽として機能していたという考察でした。
イメージできると思いますが、悪人が裁かれる瞬間、ギャラリーはめっちゃ興奮し、実際に処刑されると「ウォー!!!!」と歓喜の声をあげ盛り上がったんでしょう。
わかりやすい悪人を作って、みんなの前で殺すことによってストレスを発散させ、実生活の苦しさを一時的に忘れさせていたんですね。
そして大衆が「革命」や、「暴動」を起こす事を防いでいたと。
実生活が苦しく、不満を持っている大衆へのはけ口として、国家がギロチンというショーを作ったと。
自分の生活を変えるのは大変だから目を逸らし、安易な発散に逃げる。
本来市民がしなければならなかった事は、
・苦しい生活を変えるために知恵を絞り、生活を向上させる。
・悪政が行われているのであれば革命を起こす為に行動する。
なはずです。
けれど実際にそれをするのは難しいし、大変です。
なのでそこからは目を逸らし、わかりやすい「ギロチン」のようなショーで一時的にストレスを発散させて生活していたと。
まんまと権力者の手の内で転がされていたわけですね。
現代のギロチン
「ギロチン」と全くおんなじ事が現代にもあります。
「不倫」問題です。
不倫を叩く人は、実生活に不満があるのでしょう。
でもそれを変えるのは大変だし、難しい、そして勇気がない。
もしくは実生活を変えられるなんて思ってもいない。
だから安易なストレス発散方法として「不倫」を叩くんでしょう。
僕の周りには「不倫」を叩く人なんていないから、一生懸命、一ミリでも実生活を向上させようと頑張っているんだと思う。