「死」を意識する事によって得られるたくさんのメリット
この歳になると、周りの友人やお世話になってた人が不意に亡くなったりします。
数週間前に一緒にバカ笑いしながらしょうもない下ネタを喋っていたおっちゃんがぽっくり死んじゃったりする。
久しぶりに地元に帰ったら、仲の良かった同級生が死んじゃってたりする。
年々「死」という存在がリアルになってきている。
もしかしたら半年後に僕だってこの世にいないかもしれない。
現に僕とそんなに年の変わらない有名人の方が癌で亡くなったりします。
僕は「明日死ぬかもしれない。」と思って生きるようにしています。
思いを伝えられる。
僕は明日死ぬかもしれないと思っているから、大切な人に思いを伝えられます。
嫁や子供にはしつこいくらいに「愛してる」と伝える。(しつこくて娘にはうんざりされてるw)
そして田舎の家族にできる限り電話する。
明日死ぬかもしれない事を認識していたら、人に何かを伝えるのに恥ずかしさなんてなくなる。
「死」は本人の都合なんて気にせず不意に訪れる。
死ぬ間際に伝えたい思いを伝えられなかった事を後悔したくない。
未來を理由にせずに済む。
人はみんな未来のために「今」を我慢したりする。
僕も望んだ未来にする為に、「今」という時間を使って生きている。
けれど未来の為に「今」を苦しいものにしていいとは思わない。
「死」を意識すれば、未来の為に行動しながらも、「今」をどうやって楽しくするか必死で考えるようになる。
未来の為だから「おもんない今でいいや。」とは思わなくなる。
未来を言い訳に「今」をおろそかにせずに済む。
他人の目を気にせずに行動できる。
やりたい事を他人の目を気にして挑戦しないで終わる事がなくなる。
明日死ぬとわかったら何が何でもやりたい事をするはず。
「死」を意識したらやりたい事に貪欲になれる。
自暴自棄になっちゃだめ
あくまで明日死ぬ可能性がある事を意識するので、明日死ぬのが確定するわけじゃない。
だから自暴自棄になったらダメだし、明日死ぬからと言って自分を甘やかせてもいけない。
望んだ未来に近ずく為に「今」を生きながらも、「今」を楽しむ事が大事だと思います。