「醜い感情」を抱いてしまう自分を責めなくていい。
自分の中に醜い感情が出てくる事がある。
嫉妬だとか、憎悪だとか、過剰な損得勘定とか。
それは赤の他人に向けての時もあるし、愛する人に向けての時もある。
どんなに大切に思っていても、追い込まれていたり、状況によってはそんな感情が浮かんでしまう時もある。
でも僕はその醜い感情が浮かんだ自分を責めないようにしている。
自分の「醜い感情」に絶望した中学生の時
僕は小さい頃から隣町におばあちゃんが住んでいた。
たまに会うと優しかったし、お小遣いくれたりしてすごく好きだった。
中学生の時に、そのおばあちゃんが寝たきりになった。
色んな都合で僕の住んでる家で介護する事になった。
寝たきりになったおばあちゃんは、少しボケていて、当たり前だけどオムツだったし、夜中に這いずり回ったり、変な呻き声をあげたりした。
僕に色んな自分の世話を頼んできたり、
それは友達と遊んでる時だったりもした。
僕はあんなに好きだったおばあちゃんの事を
「うっとおしい。面倒をかけられたくない。どっか行って欲しい。存在がなんか恥ずかしい。」
と思っている事に気づいた。
「お小遣いくれたり、たまに会ったら優しくしてくれる。」というメリットがあったからおばあちゃんが好きで、
「世話しないといけない、今までいなかったおばあちゃんが家にに居るいこごちの悪さ」というデメリットが見えた時に、おばあちゃんを好きでなくなった自分にゾッとし、自分に失望した。
「こんなに損得勘定で人を見ていたんや。」
「おれはあんなに優しくしてくれたおばあちゃんをうっとおしがるなんて人間として最低な奴や。」
「なんて醜い感情をもってるんだ。」
と自分を責める日々が続いた。
結果おばあちゃんをうっとおしがったままおばあちゃんは死んでしまった。
人間に対する絶望感と自分に対する失望感がその時に植え付けられた。
「醜い感情」すら受け入れる事にした。
けど今の年になって思うと、人間に対しても、自分に対してもどこかで高く設定してたんだと思えるようになった。
人間てそんなもんだし、自分てそんなもんだ。
小さい頃に教わった道徳から外れない人は聖者のような人で、世の中にはほとんど存在しない。
僕は「醜い感情」が生まれる自分を受け入れ、そんな人間を受け入れる事にした。
自分に真面目な人ほど、「醜い感情」が生まれる自分を責めるし、「自分はこうあらねばならない。」みたいな思い込みを作り出し、その思い込みに苦しんだりする。
でも本当の悪人は自分が悪である事に苦しまない。
苦しんでる時点で「良くあろうとしてる善人」なんだと今は思う。
嫉妬だろうが、憎悪だろうが、損得勘定だろうがそんな「醜い感情」すら受け入れて、その上でどうやって生きるか考える。
自分を責める事には意味がないと思うし、みんなそんなもんだよ。って伝えたい。
聖者である必要はない。
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