12年やった芸人を辞め、株式会社フラワーズロマンスを経営していく人のブログ。

バンカラという梅田にある生バンドカラオケのお店で店長をしながら、「株式会社フラワーズロマンス」と言う会社を作りました。元芸人でフラワーズオブロマンスというコンビで活動していました。司会業、結婚式二次会プロデュース業、エンターテイナー派遣業、結婚相談所ホワイトブーケの運営も

誰だってコミュニケーション能力は鍛えられる。

コミュ障は改善できる。 

 

 

よくコミュ障だから人と話せません。という人がいるけれど、僕は「誰だってコミュニケーション能力は一定レベルまであげられる。」と思っています。

 

 

 

 

なぜなら僕が昔コミュ障だったからです。

 

 

 

 

今では誰と話しても好かれる自信があると思っている僕ですが。(ムッチャ嫌われてたら笑うw)

 

 

 

 

20くらいの頃は死ぬほどコミュ障でした。

 

 

 

 

鹿児島から大阪に出て来て知り合いなんてほとんどいなかった。

 

 

 

18歳から20歳まで高槻市の印刷工場で働いていました。

 

 

 

 

地元の鹿児島は死ぬほど過疎化が進んでいて就職先がなかったので(だいたいみんな東京、福岡、大阪のどこかに就職しに町をでる。)、なんのゆかりもない大阪の高槻に就職する事になりました。

 

 

 

 

誰も知り合いがいない大阪での生活は、みるみる僕を暗くして行きました。

 

 

 

 

毎日工場で働き、一人でコンビニで飯を買い、食って寝て、また起きて働くの繰り返しでした。

 

 

 

 

休日の過ごし方はレンタルビデオを5本くらい借りてみまくる。という生活をしていました。(2年で500本くらいみた。エロいやつも含めw)

 

 

 

 

タランティーノの映画とか、ヴィンセントギャロが出てる映画とか、お笑いのビデオとかたくさんみまくってたなぁ。

 

 

 

 

もともと根暗だった僕に拍車をかけるように、毎日仕事先の一定の人としか会話しないという環境は、みるみるうちにコミュニケーション能力を奪って行きました。

 

 

 

 

人と目を合わせられない、コンビニの店員さんと話すだけで赤面する、女の人となんて2秒も会話が続かない。(今では2秒で口説けるぜw

 

 

 

 

という立派なコミュ障になっていましたw

 

 

 

 

誰だってコミュニケーション能力は鍛えられる。②に続く。