12年やった芸人を辞め、株式会社フラワーズロマンスを経営していく人のブログ。

バンカラという梅田にある生バンドカラオケのお店で店長をしながら、「株式会社フラワーズロマンス」と言う会社を作りました。元芸人でフラワーズオブロマンスというコンビで活動していました。司会業、結婚式二次会プロデュース業、エンターテイナー派遣業、結婚相談所ホワイトブーケの運営も

もしも我が子がいじめられた時、親の僕に何がしてやれるのだろう。

「湯を沸かすほどの熱い愛」という映画を見て小学校の頃の事を思い出した。

 

 

 

僕は小学5年生から1年間、仲のいい友達のグループに無視をされている時期があった。

 

 

 

理由はよく分からないけど、(たぶん僕が男前やからやと思うw)ある日学校に行くと友達が一切喋ってくれなくなった。

 

 

 

 

今ではただの思い出にできるけれど、11歳の僕には地獄のような毎日だった。

 

 

 

 

「存在しないもの」として扱われるほど辛い事はない。

 

 

 

 

布団の中で、ひたすら朝が来ない事を祈る夜が何度もあった。

 

 

 

 

学校に行くのが嫌で、「体調悪くなれ」という悲しい願いを祈る夜が何度もあった。

 

 

親には隠してしまう。

 

 

なぜか両親にバレるのがすごい嫌で、必死でその子らに無視されているのを隠していた。

 

 

 

 

心配をかけたくなかったのか、カッコ悪いと思ったのか、今は覚えていない。

 

 

 

 

死ぬほど辛いのに、親にはなぜか隠してしまう。不思議だ。

 

 

 

 

スクールカーストの上位に位置していたグループ(当時はスクールカーストなんて理解できていない。肌で感じているだけ)に無視されてしまった僕は、しばらくすると幸いにも、スクールカーストの中の少し下のグループに入る事で無理やり孤独を紛らわせる事ができた。

 

 

 

 

新しく入ったグループでは、僕が無視されているのに気づいていないようだった。

 

 

 

 

けれど今思えば気づいてて、気づかないフリをして接してくれたのかもしれない。

 

 

 

 

そのグループの中心的存在のY君はとても面白い子で、その面白さゆえにクラスの全員に認められていた。

 

 

 

 

僕はその子を見て、「面白ければ認められるんだ。」という事に気付き、そのY君から面白さを勉強した。

 

 

 

 

毎日Y君の笑わし方を吸収し、周りの人を笑わすよう努力した。

 

 

 

 

毎日毎日、Y君からインプットして、周りにアウトプットして行く。

 

 

 

少しづつ、少しづつ「クラスの面白い奴」と認識されるようになってきた。

 

 

 

そして一年経った頃に、僕を無視していたグループのリーダーが話しかけてきて、何もなかったかのようにグループに誘ってきた。

 

 

 

弱い僕は、そのグループと友好的な関係を戻しつつ、Y君と親友となり中学生になった。

 

 

 

 

僕は、面白くなる事=コミュニケーション能力

を上げる事で「孤独」から身を守る事ができた。

 

 

 いつか娘が同じ思いをした時

 

 

いつか娘が思春期になり、いじめに会うかもしれない。

 

 

 

けれど娘はきっと僕に「いじめられている事」を隠すと思う。

 

 

 

娘はその問題を自分自身で解決しなければならない。

 

 

 

それはとても辛い問題だけど、もし気づいたとしても親が介入してして解決するより、娘が解決した方が将来的にいいと思う。

 

 

 

 

社会に出たら自分自身で解決しなければならない問題ばかりだからだ。

 

 

 

 

少なくとも僕は、あの時自分自身で解決して良かったと思う。

 

 

 

 

僕がする事は、「何があってもあなたの味方だよ。」と全力で娘を肯定して、優しく見守る事だけだと今は思う。